なぜロッテファンになったのか
初観戦はロッテvs日本ハムだった
三度の半期優勝も日本シリーズには進めず
ドラフト指名を拒否した選手たち
不思議と多い首位打者
就職と川崎球場観戦
10.19
ロッテオリオンズの終焉と千葉ロッテマリーンズ
なぜロッテファンになったのか
巨人のV10を中日が阻んだ1974年、パ・リーグを、そして日本シリーズを制したのはロッテオリオンズだった。赤と青のラインが入ったユニフォームのチーム。少年だったオイラは、近所のラーメン屋で読んだ週刊少年マガジン(系の雑誌)で彼らの姿を見て、ロッテオリオンズを応援するようになった。
プロ野球というものを知った年に優勝したのが、たまたまロッテオリオンズだった。それだけが理由だとも言える。
当時のロッテは、本拠地がライブドア&楽天で注目された仙台の宮城県営球場。監督は金田正一。主力選手は、村田兆治、木樽正明、金田留広、三井雅晴、成田文男、八木沢荘六、村上公康、有藤通世、山崎裕之、弘田澄男、ラフィーバー、アルトマン、得津高宏など。
アストロ球団と最初に戦ったのは、たしかこのメンバだったはず。
2004/11/22(taranco)
初観戦はロッテvs日本ハムだった
オイラがロッテファンになったことを知って、父親が試合のチケットを買ってくれた。札幌円山球場でのロッテ−日本ハムダブルヘッダだ。1975年のことと思うが、はっきりはわからない。
一戦目は村田が完投。10-2で勝利。二戦目は先発が成田、そのあと二人つないで4-2で勝利。とても充実した一日だった。(記憶ミスあるかもしれませんが)
初観戦が日本ハム戦だというのも何かの縁かもしれない。先発投手さえ覚えてないけれど。
2004/11/22(taranco)
三度の半期優勝も日本シリーズには進めず
オイラがもっとも熱心に応援していた頃、ロッテは三度プレーオフに進出している。
周りにはロッテファンなんて見つけられなかったので、オイラはいつでも一人で祝っていた。
1977年後期優勝
金田監督のもとで後期優勝するも、プレーオフで上田阪急に逆転で敗れる。
主力選手は、村田兆治(最多奪三振)、八木沢、水谷、有藤道世(首位打者)、レロン・リー(本塁打王、打点王)、白仁天など。
南海にも勝率で負けていたので、最終順位は3位。
この年を最後に宮城県営球場から離れ、翌1978年からは川崎球場を本拠地とした。
この年の最優秀防御率は阪急.山田久志、最多勝利は近鉄.鈴木啓示です。
1980年前期優勝
山内一弘監督一年目にしてプレーオフ進出。しかし、近鉄に完敗。
仁科、水谷、村田兆治、レロン・リー(首位打者)、レオン・リー、有藤道世、水上、庄司、弘田、張本。
この年なんと、日本ハム.木田勇が投手三冠(最多勝、防御率、勝率)+MVP+新人賞+ベストナイン+ダイヤモンドグラブ賞を取っている。
1981年前期優勝
二年連続の前期優勝もプレーオフで敗退。相手は、大沢親分率いる日本ハム。間柴、江夏、ソレイタらが活躍したらしい。
ロッテの主力は、村田兆治(最多勝利、最多奪三振)、仁科、水谷、倉持、レロン・リー、レオン・リー、有藤道世、落合博満(首位打者)、水上、庄司、弘田など。
勝率で阪急を下回り、年間通算では3位。
最優秀防御率は日本ハム.岡部憲章。日本ハムは前年の木田、翌年の高橋里志と三年連続の受賞だ。また、ソレイタが本塁打王、打点王を獲得。
2004/11/22(taranco)
ドラフト指名を拒否した選手たち
オイラがロッテファンだった1970年代後半から1990年くらいまで、ロッテはとにかく、ドラフト指名選手に入団を拒否されるチームだった。どれほど人気が無かったことか。小池なんか、指名された途端に感情を丸出しにして拒絶していた。
袴田 英利
1973年3位で指名されるも拒否。法政大学卒業時の1977年に再度1位で指名される。この時は入団し、後に正捕手として活躍した。
石毛 宏典
1974年6位指名を拒否。市立銚子高→駒沢大→プリンスホテルとすすみ、1980年1位指名で西武に入団。このリストの中でもっとも成功した一人。
大町 定夫
1973年の太平洋クラブの指名拒否に続き、1975年2位で指名されるも拒否。1979年にドラフト外で阪神に入団し、後にスタッフとして活躍。
中村 昭
1973位指名を拒否。上尾高校→三協精機を経て、1978年ドラフト外で巨人に入団。この年は江川事件のために巨人がドラフトを辞退した年であり、落合がロッテに入団した年である。のちにロッテに移籍。
森 繁和
1976年に1位指名を拒否。駒沢大→住友金属に入社。1979年に西武1位指名を受けて入団し、黄金時代の抑えのエースとして活躍。のちに日本ハム(2000〜2001)→横浜→中日と渡り歩いた。
川口 和久
鳥取城北高卒業の1977年、6位指名を拒否。ノンプロのデユプロに入社。1981年、広島1位指名で入団し、1995年、FA権を行使して巨人へ移籍。
竹本 由紀夫
1979年1位指名を拒否。新日鉄室蘭ということで、北海道でも話題になっていた。翌1980年にヤクルト1位指名受けて入団したが、まったく活躍せずに終わった。
長冨 浩志
1983年3位指名を拒否し、国士舘大→NTT関東へ。1986年に広島に入団し、1995年には日本ハムへ、その後1998年に福岡ダイエーに移籍した。
金沢 健一
1984年に5位指名を拒否。1989年に福岡ダイエーからの2位指名で入団。この年のダイエー1位指名は元木だが、入団拒否。
有倉 雅史
北海高校卒業の1985年に6位指名を拒否。1989年に日本ハムから6位指名で入団。1996年に福岡ダイエー、1998年に阪神に移籍。
西山 一宇
1988年5位指名拒否。1993年に巨人に入団。
小池 秀郎
亜細亜大で活躍後、1990年に1位指名を拒否。松下電器に進み、1992年に1位指名を受けて近鉄へ。その後中日→大阪近鉄→東北楽天と移籍。
小池がロッテを拒絶したのには、1988年の10.19が絡んでいるのかもしれない。このとき問題の牽制アウトで投げた近鉄.阿波野秀幸、タッチした近鉄.大石大二郎、ベースから足を離したロッテ.古川慎一が揃って亜細亜大出身なのだ。
この年、日本ハムも一位で小池を指名し、抽選で外れている。
2004/11/22(taranco)
不思議と多い首位打者
1980年代のロッテは、首位打者をよく取っていた。落合が特に多いのは言うまでもないけれど、他にもいろんな選手が年代わりで取得している。成績が低迷していた時期でもあり、彼らのタイトルだけがシーズン終了間際の、ロッテファンの楽しみだった。特に10.19で首位打者を決めた高沢とか。
1980 ロッテ.レロン・リー
1981 ロッテ.落合博満
1982 ロッテ.落合博満
1983 ロッテ.落合博満
1984 阪急.ブーマー
1985 ロッテ.落合博満
1986 ロッテ.落合博満
1987 近鉄.新井宏昌
1988 ロッテ.高沢秀昭
1989 オリックス.ブーマー
1990 ロッテ.西村徳文
1991 ロッテ.平井光親
1992年からロッテは千葉に移転し、その後首位打者は2001年の福浦まで出ていない。イチローが活躍した時期でもあり、移転に特別な意味はないと思うけれど。
2004/11/22(taranco)
就職と川崎球場観戦
北海道で生まれ育ったオイラが、就職した場所は東京赤坂。寮は川崎市高津区。ロッテの本拠地、川崎球場がある街だ。研修後の勤務先が川崎市の京浜地区ということもあって、オイラは初めて川崎球場を尋ねた。1987年のことだ。
球場の観客はマバラで緊迫感もほとんど無かったけれど、生で野球を観戦したのはおよそ15年ぶり。
川崎駅前から川崎球場までは歩くとちょっと距離があった。福住駅から札幌ドームまでと同じくらいかな。誰と何試合見たかは覚えてない。カミさんとも一度くらいは行ってると思うんだが、賛成してもらえない。球場の前までしか行ってないかな?
ロッテが千葉に移転する直前の1991年まで、オイラは何度か川崎球場に出ていった。今思い返そうとしても、そこできちんと応援した記憶はないし、応援団を見た記憶も無い。外野自由席での流しそーめんを見てみたかった。
2004/11/22(taranco)
10.19
今年(2004年)、大阪近鉄バファローズが消滅。その歴史を振り返る中で、10.19がずいぶん取り上げられた。
1988年10月19日。西武と優勝争いをしていた近鉄は、この日ロッテと川崎球場で最後のダブルヘッダを戦っていた。二つ勝てば西武を抜いて逆転優勝となる。判官贔屓の世間は近鉄に同情的。第1試合、梨田のタイムリーなどで近鉄勝利で迎えた第2試合9回裏、得点は4vs4、ノーアウトでランナーは古川が二塁、袴田が一塁。ピッチャーは阿波野。
ここで阿波野の2塁への牽制球が高く浮き、大石が古川に被さるような体制でキャッチ。その直後に古川の足がベースから離れてアウト。
この判定に有藤監督は納得いかずに抗議。大石に押されて足が離れたと言うのだ。残り時間が無くなる中、抗議は9分間に及ぶ。結局判定は覆らず、試合は延長10回まで行うも4vs4のまま。4時間を超えると延長せずのルールがあり、4:12に及んだ試合は引き分けで終了。仰木近鉄は負けることなく、優勝を逃したのだ。
この試合は、ニュースステーションの枠内で試合終了まで中継されたこともあって、たくさんの人の目に触れ(視聴率30%!)、久米宏が番組を降りる時にも取り上げられた。どこでもロッテは悪役である。
「有藤のあの抗議が無ければ、もう一回延長できたのに」
再放送を見ても、あの抗議は正当だったと思う。ただ有藤がもう少しだけ粋だったら、これほどロッテがヒールになることも無かったという気はする。
この日のロッテの投手陣は、第1試合:小川→牛島、第2試合:園川→荘→仁科→関。近鉄は、第1試合:小野→吉井→阿波野、第2試合:高柳→吉井→阿波野→加藤哲→木下。総力戦だ。ちなみに同点本塁打を打ったロッテ高沢はこの年、首位打者を獲得している。
2004/11/22(taranco)
ロッテオリオンズの終焉と千葉ロッテマリーンズ
1992年、ロッテオリオンズは千葉に移転した。チーム名も千葉ロッテマリーンズとなり、今まで馴染んだ「オリオンズ」の愛称と独得の赤と青のラインが入ったユニフォームは消えることとなった。
それまでもロッテのシーズンはいつも4月で終わっていた(*1)ので、それほど思い入れも強くはなかったけれど、この千葉移転でオイラの気持ちはほとんど冷めてしまったようだ。千葉に移ったあとも1試合だけ応援に行った。バレンタインが監督した1995年と思う。ちょっと寂しい観戦だった。個性的な応援団のノリに入り込むのは当然無理だし、選手もほとんど知らない顔ばかりになっていた。
(*1)最近は後半強いのがロッテの特徴みたいだけれど、かつてはゴールデンウィーク前後まで頑張って終わり、という時期もあった。
この後オイラは、どんどんロッテへの思い入れを失っていった(*2)。顔がわかる選手は黒木と初芝と小阪くらい。バレンタインや小宮山の復活はうれしかったけどね。
(*2)1996年オフに伊良部がゴタゴタの末にヤンキースに移籍。1999年オフに小宮山が自由契約となった後に横浜に移籍するなどの事件もあった。
そして2004年、オイラは北海道日本ハムファイターズのファンとなった。
2005/05/08更新 2004/11/22初(taranco)